第12回 ドイツは闇に包まれて〜Euro2000ドイツvsポルトガル〜(2000年6月28日)

                                  M.Sunabata

 ポルトガルサポーター席の歓喜の声を覆い消してしまう程の悲痛なブーイングが、ドイ
ツサポーターからピッチにいる自国選手に突き刺さった。
 前大会の「覇者」ドイツが、1次リーグで1勝も挙げることなく、大会から姿を消すとい
うことを、ドイツ国民でなくともほとんどの人が考えていなかったはずだ。


 確かにEuro96から「王者ドイツ」のサッカーには翳りが見え始めていた。

 W杯アメリカ大会に於いて、チームの「高齢化」がネックと言われていた。しかもアメ
リカ大会は昼に行われるゲームが多く、ドイツ選手は大会の日程を追うごとに、疲労の色
を強く残し、ベスト8で敗退する。

 それから2年が経過しているにも拘わらず、メンバーは代り映えしなかった。しかしデ
ィフェンスの手堅さは相変わらずで、その年のヨーロッパ最優秀選手に選ばれたリベロの
ザマーが絶頂のプレーを見せ、そのザマーのプレーを支えるアイルツ(ザマーが攻撃参加
した時にカバーに入る)の陰になりがちだが献身的なプレーにより、チームはどうにか優
勝に辿り着いた。だがやっているサッカー自体は何の変化もなく、ドイツの伝統的なリベ
ロを置いた3―5―2スタイルを踏襲したものに留まり、新しい胎動を感じさせるものは
なかった。それでも面白味に欠けようとも、最後にはやはりドイツが勝つという力強さが
まだ残っていた。

 そして98年フランスW杯でも、監督のフォクツはやはりベテランを多数登用する。怪
我のザマーに替えてマテウスを入れてくるあたりは、ドイツ人らしい保守的な面を頑固に
押し通した感じだ。もちろん戦術的にも変化はないままであった。
 現地で1次リーグのドイツ対ユーゴを観戦したが、ドイツのサッカーに綻びが感じられ
た。ユーゴの華麗なパス回しにDFが着き切れないシーンも多く、攻撃に関しても、核と
なるメラーが不調で、頼みのサイド攻撃も殊にツィーゲの消極的なプレーでチャンスを潰
していた。それでも勝負に対する執着心は健在で、「ゲルマン魂」と言われる自信に裏付
けされた闘争心と最後まで諦めないという精神力でもって、0―2という不利な状況から、
2―2のドローに持ち込んだのは、さすがドイツと思わせた。それからイェレミースとい
う嬉しい発見もあった。
 試合後、ビールを飲んで楽しく騒ぐドイツサポーターを見て、この試合が彼らにとって
納得のいった試合だったのだということを改めて感じたものだ。


 しかし目覚ましく変化していく今日のサッカーに於いて、変化しないということは、即
ちある意味で後退していると言えるのだろう。ドイツのサッカーはこの時既に、サッカー
界のエリート組から脱落していたのかもしれない。

 この日の対戦相手のポルトガルは決勝リーグ進出を決めていたこともあって、選手が怪
我をしないことと、カードをもらわないことを考慮して、レギュラー組のほとんどを温存
し、この試合をサブ組の調整の場とした。

 ポルトガルというと、もともと中盤の構成力には定評があったが、FWの決定力のなさ
からドイツと正反対で、面白いがこぢんまりしていて勝負弱いチームというイメージがつ
いてまわる。ここ数年、ワールドユース優勝を経験した選手をチームの中心に据えてきた。
若さは好不調の波を起こしやすい。その為にW杯(予選)などの大きな大会での結果が、
なかなかついてこなかった。しかしこの大会のポルトガルは一味違う。多分、その選手達
が、サッカー選手としての肉体的、精神的成熟の時を迎えたに違いない。1次リーグを見
る限りでは、恐らく今大会の優勝候補の一角だろう。

 対するドイツはこの時点で勝ち点が1、同組のイングランドが勝ち点3、ルーマニアが
1と、1次リーグ突破の為には、まず試合に勝つことが最低条件であり、あとはイングラ
ンド対ルーマニアの結果を固唾を飲んで待つという状態に追い込まれていた。それでもポ
ルトガルの側には「絶対に勝たなければ」というこの試合に対する高いモチベーションが
あるわけではない。それから考えれば、ドイツにとって勝ち目のある試合となるはずであ
った。きっとドイツは前半から攻撃的に飛ばしてくるはずだ。


 ところが、ドイツのリベック監督はどうしたわけか、FWをヤンカーのワントップにし
て、トップ下にボーデ、ショル、ダイスラーと並べてきた(監督にすれば3トップのつも
りだったのだろうか?)リベック監督は前監督フォクツに輪を掛けて保守的で慎重なタイ
プだが、勝つしかないこの試合に対して見せたフォーメーションの変化が、どう考えても
攻撃的だとは思えないことに、私は驚きを隠せなかった。

 逆にモチベーションが低下しているだろうと考えていたポルトガルが、前半から猛攻を
仕掛ける。きっとポルトガルの選手達は、自分達のサッカーが優勝に価する力があると、
手応えを感じているのであろう。サブ組の選手にすれば、好調なレギュラー組に取って代
って決勝ラウンドのピッチに立つには、ここで結果を残さなければいけないということを
十分理解していた。

 ドイツはサブ組で構成されたポルトガルに翻弄され続ける。特にS・コンセイソンの動
きを止められない。6分のS・コンセイソンのシュートをDFが体に当てて逃れたのを皮
切りに、15分にはS・コンセイソンからパウレタにボールが渡りシュートされ、GKカー
ンは胆を冷やし、更に18分にもS・コンセイソン―パウレタのコンビにやられかけた。

 ドイツが攻撃の形を作り出せるようになったのは、ゲームが始まって既に25分が過ぎた
頃であった。右のダイスラーからヤンカーに生きたボールが入り始める。しかしゴールに
は至らない。

 そしてドイツにとってこの試合3度あった決定的シーンの中で、最もゴールに近付いた
瞬間が訪れる。30分、この大会初スタメンのボーデがシュートを放つ。決まるかと見えた
このシュートは、運命のいたずらの様に右ポストに当たり、ボールがゴールの外に出てし
まう。ポストから響いた金属音、それはドイツサッカーにわずかに射し込んでいた希望と
いう光が、扉で閉ざされた音だったのかもしれない。

 そして34分、またもパウレタ―S・コンセイソンのコンビプレーから、とうとうドイツ
はゴールを割られる。

 44分にドイツはチャンスを掴かけるが、決め切れないまま、前半は0―1で終了した。


 遮二無二得点を取りにいかなければならない背水の陣に追い詰められたドイツ。この時、
前半の彼らのプレーにショックを受けていたものの、私はまだドイツのここ一番の強さを
かすかだが信じていた。

 しかし後半、リベック監督はチームの攻撃の起点となるショルを交代させてしまったり、
こういう時に強引に突進する「斬り込み隊長」となるであろうキルステンを68分まで投入
(しかもヤンカーとの交代)しない。

 ドイツは57分、70分とS・コンセイソンのドリブルで、DF陣がいとも簡単に突破を許
してゴールされてしまった。ドイツDF、殊に元ドイツ代表のブッフバルトのプレーを生
で見てきた私にとって、ドイツDFの1対1の強さ、読みの確かさ、そしてその迫力は最
大の魅力だった。そんなDFを多く輩出してきたドイツDF陣が、成す術なく突破される
様を見て、私は途轍もない哀しさを覚えた。

 3点目を決められた後のドイツ選手は、まるでこのまま時が速く過ぎ去って、このピッ
チから消えたいという思いに支配されているようであった。あの最後まで諦めない闘争心
である「ゲルマン魂」さえも彼らの手元から零れ落ちた瞬間だった。

 この日のドイツ選手は、ポルトガルのサブの選手のスパーリングパートナーになること
さえ出来なかった。


 『サッカー王国・ドイツ』は崩壊した。

 この大会を通してドイツサッカーの問題がいくつか浮かび上がってくる。

 一つにシステムに関することが挙げられる。確かにリベロを置いた3―5―2システム
はドイツ独特のフォーメーションである。
 しかし今大会のリベロを務めたマテウスの衰えは明らかだった。ここぞという時の攻撃
参加のスピードも、チームが守備に転換した時の戻りや相手の攻撃に対する読みも、どれ
を取っても「ずれ」を感じずにはいられなかった。

 DHにしても、イェレミースという運動量のある汗かきタイプの選手はいるが、パスを
サイドに振り分けたりする展開力に優れた選手がいない。

 2列目に入ったショルに関しても、もともとドリブルが好きな選手であるが、トップ下
のプレーヤーとしては、もっと「ため」を作ったり、決定的なパスを出す仕事が出来なく
てはいけないだろう。ただ、ビアホフの様な選手がポストとなって落したボールに、2列
目から飛び込んでくるのが、彼の本来の仕事であったと思われるので、そこまで求めるの
は酷かもしれないが…

 ともかく今迄のやり方と違った、枠をはみ出すような選手が必要だったのではないだろ
うか。


 またドイツサッカー界の硬直した考え方を変えていく必要もあるかもしれない。前述し
た通り、ドイツ人は保守的で頑固な一面を持っている。更にサッカーに付いては燦然と輝
く歴史がある。ここ数年、外国人監督を招聘するという話も出ている。つい最近も、アー
セナルのベンゲル監督に代表監督を要請したとの話が、日本のスポーツ紙に掲載されたほ
どだ。しかしなかなか現実には至っていない。外部からの血の導入もドイツサッカーを変
えていく一つの手かもしれない。

 それからメンバーの若返りについてだが、多くのベテランを起用するのは、ドイツ人の
性質的なものの影響かもしれないが、裏を返せば若手が育っていないとも言える。

 これはヨーロッパのどこの国にも言えることだが、ボスマン判決以降、EU圏内の選手
は外国人枠の対象外となった。ブンデスリーガの場合、外国人枠は4人である。若手育成
のシステムは確立されているのであろうが、トップリーグの試合出場の機会がなかなか与
えられないという現状がある。これを解決すべくなんらかの方針を打ち出す必要があるの
ではないだろうか。

 そして今回のドイツ代表の問題点はマインドにもあるかもしれない。

 18日のイングランド戦後、リベック監督はこの大会を諦めたような発言をしており、
彼本人も辞任問題に揺れていた。

 それから、初戦の後もダイスラーの起用を巡って、ベテラン選手が監督と揉めたという
情報も聞いた。ダイスラーも「自分はこのまま国に帰ってもいい」と言ったとも聞く。初
戦のダイスラーの出来は、彼の実力を考えれば本当に最悪の出来であった。しかも代表と
して大きな舞台に立ったのは初めてである。
 そんな選手を助けるべきリーダーが不在だったのではないだろうか。ダイスラーのよう
な将来を担う若手に、ベテランがもっと自信を植え付けて、若手の選手が奮起し、対戦相
手を脅かすプレーをしてくれたなら、未来にはほんのりでも燈火が灯ったかもしれない。


 ドイツサッカーは今、闇に包まれている。彼らのパンドラの箱の中に、「希望」という
言葉が残されていることを、祈って止まない。