第13回 ストイコビッチのEuro2000〜ユーゴvsスペイン〜(2000年7月14日)

                                  M.Sunabata

 ブルージュは、教会を街の中心とした小さな地方都市である。日本的な言い方をすれば
「門前町」というのが適当だろう。とても静かで、由緒ある教会の鐘の音が街に響き渡り、
その中を時がゆっくりと流れていく。街の至るところが、石畳とレンガで成り立ち、訪れ
た人を暖かく包み込む。

 試合の三日前に街に着いたのだが、この地で本当にEuro2000が行われるのだろうかと
思わせるくらい、サッカーのサの字も伺えなかった。しかし試合当日の駅前には案内ブー
スが出来上がり、街頭は風船で彩られ、手作りでアットホームな迎え入れをしていた。そ
して街には鐘の柔らかな調べに混ざって、サッカーソングが浮き立つように流れ、それは
違和感を感じさせながらも、微笑ましく受け入れられた。

 そんな街の郊外にあるスタジアムに着いた時、私を驚かせたのは、日本人の多さである。
前日のドイツ対ポルトガル戦では、日本人を捜すのが一苦労であったが、右を向いても、
左を向いても、後ろを見ても日本人。ほとんどの人が、ユーゴスラビア代表としても最後
大会になるであろう、ストイコビッチの勇姿を、この目で見納めようという人達だろう。

 そんな日本人を見て、多くのユーゴ人が親指を立ててにこやかに声を掛ける、「ピクシ
ー」と。そしてこちらも笑顔で「ピクシー」と答える。互いが話す言葉が通じずとも、そ
の名はユーゴのサッカーに魅了されている者同志の共通語となった。


 試合前、ボールと戯れるストイコビッチに硬さは感じられない。その姿を見ていると、
彼がボールを愛しているというより、ボールに彼が愛されていると言う方が相応しい気が
してくる。柔軟な足捌きとは反対に、ストイコビッチの厳しい顔には、この大会に対する
意気込みが見て取れた。

 ゲームが始まって感じたのは、ユーゴのゲームメーカーは、ストイコビッチをおいて他
にはいないということだ。ボールタッチの柔らかさ、空中からピッチを俯瞰したような視
野の広さ、そしてパスアイディアの豊富さ。それは誰もが持ちえるものではない、天から
与えられた才能である。

 スペインにもゲームを組み立てる才に恵まれた選手がいた。グァルディオラがそうであ
る。グァルディオラはストイコビッチの2列目のポジションとは違い、ディフェンシブハ
ーフの位置からゲームをコントロールしていた。技術的な面から見れば、二人のプレーは
遜色がない。グァルディオラのプレーはスペイン選手の中でも殊に光を放っていたと思う。

 しかしストイコビッチの前にあっては彼の放つ光も陰でしかなくなる。その差がなんで
あったのか…「スピリット」つまり魂の輝きの差であったのではないだろうか。

 なにもグァルディオラが真剣にゲームをしていなかったわけではないし、飄々としたプ
レースタイルが悪いとも思っていない。ただストイコビッチのプレーを見ていると、痛い
ほど彼の「スピリット」を感じるのだ。それはチームが守勢にまわった時により強く、見
ている者に訴えかけ、その心を揺るがす。

 前半19分、ユーゴのCKからスペインにボールを奪われた時だ。左サイドをメンディエ
ータが疾風の如くドリブルで駆け上がる。しかしスペイン陣内の中央にいたストイコビッ
チが全力で追走し、メンディエータからボールを奪い返し、ピンチを切り抜けたのだ。こ
のシーンはエキサイティングだった試合の記憶とは別に、私の心に深く刻み込まれた。


 ところでつい最近、国際審判の岡田さんの公演を聞いた。その時、「日本人選手と外国
人選手の違いはどういう点ですか」という質問が出た。岡田さんは、当たりの強さや強烈
なファウルを受けてもすぐに立ち上がる(日本人なら痛がってなかなか立てない)など、
フィジカルの面での差があることを指摘していた。だがそれよりももっと違う点として、
「国に対する誇りや名誉」ということだと強く言われていた。

 変にナショナリズムを煽るわけではないが、サッカーを見ていると、その国の文化、歴
史国民性を如実に体現しており、国家の代表としての誇りを胸に闘うプレーヤーは、民族
のアイデンティティをも示している。
 ストイコビッチの祖国、ユーゴスラビアは、ユーゴ紛争のために国際的に孤立した。そ
して彼自身も、選手として一番脂の乗り切った時期に、ユーゴ代表として国際試合に出場
することを許されなかった。空爆を受けた彼の祖国は疲弊している。そんな祖国に対する
ストイコビッチの熱い思いは、読者の人には周知のことだろう。彼の背負っている物は大
きい。

 日本でもスポーツ選手が「国のため」に闘っていた時代があった。オリンピックに出場
する選手が、「日本のためにメダルを」と言っていた頃の話だ。しかしどれだけ多くの選
手がその重圧に潰されてしまっただろう。彼らにとって「メダル」をとらなければならな
いという半ば義務感が伴うものであり、悲愴な感じがした。

 けれどストイコビッチにはそんな暗さはない。もちろん彼も、「優勝」することは国民
のためになることだとは思っているだろう。でもそれ以上に、「国や国民に何が出来るか」
ということが、彼には重要なことなのかもしれない。彼が天から与えられた才能をフルに
使ってサッカーをすることで、彼のプレーで国民に勇気を与え、彼が国家の名誉を懸けて
闘うことで、次世代にその「スピリット」を受け継がせる。それが自分の使命だと考えて
いるからなのだろう。

 だからこそ、ストイコビッチはプレーヤーとして最後になるであろうこの大会に、自分
の持てる総てを注ぎ、それゆえに見ている者が心打たれるのである。


 その点で、D・スタンコビッチは、その「スピリット」をまだ継承出来ていなかったの
かもしれない。

 D・スタンコビッチは、ストイコビッチの言葉によれば、「自分の次に10番を担うのは
彼しかいない」とまで言われている。つまり技術的には高い素地を持っている選手である。
また今大会の注目選手として、サッカー関係者ばかりでなく、マスコミやファンからも、
プレーヤーとして花開くことを期待されていた。しかし対スロベニア戦で実力を出し切れ
ず、この試合もベンチにいるだけで終ってしまった。

 だがベンチにいてもストイコビッチの「スピリット」を学ぶことは出来たはずである。
今後ストイコビッチが抜けた時に、自分がどういったプレーを国民に望まれ、そのために
自分がどういうプレーをするのか、ストイコビッチのプレーを見て肌で感じたのではない
だろうか。

 ストイコビッチの「スピリット」を受け継いだ時、D・スタンコビッチは正真正銘のユ
ーゴのNo.10になることだろう。そしてそれは、ストイコビッチが全身全霊を傾けた、Eu
ro2000の証かもしれない。