第18回  マイアミの奇跡、シドニーへの軌跡 (2000年9月25日)

                                  M.Sunabata

 私はテレビに映る日本選手を頼もしく眺めていた。4年前のスコアーとは逆で0ー1の
敗戦。だが若手育成の方向は間違っていないことをゲームは物語っていた。

 4年前、マイアミのオレンジボールスタアムはカナリア色に染め上げられていた。スタ
ジアム周辺の路上は、にわか駐車場に早変わりし、所狭しとバスが埋め尽くす。そのバス
を縫うように、黄色と青い列が擦れ違う。擦れ違いざまに、ブラジル人は「3ー0」口々
にしながらながら嘲る(和やかな雰囲気だけれど)。私は「泣きをみるのはお前らだ」と
泣き真似をして対抗したが、彼ら「そんなアホな」と笑い飛ばしていたに違いない。

 手を繋いで入場してくるブラジルの面々。当時のブラジルA代表でも活躍していたベベ
トをはじめジュニーニョ、ロベルト・カルロス、アウダイール。その他、リバウド、フラ
ビオ・コンセイソン、ゼ・マリア…名を連ねていたらきりがない。垂涎もののメンバー。
 西野ジャパンは当然の如く、守ってワンチャンスに賭ける戦法を採ってきた。私も頭か
ら「勝つ」なんて考えもしない。ともかくブラジルに喰らいついて、大差で負けなければ
いいと思っていた。

 ブラジル選手は卓越したボール扱いで、日本選手のマークを軽くを外す。躱されても、
しつこく追い縋ってディフェンスする日本選手。一部の選手は攻撃的にいきたかったよう
だが、恐らく守備に忙殺されるバックの選手からは活きたボールは望めない試合展開だっ
た。ピンチの連続。服部の忠実なジュニーニョへのマークと最終ライン頑張り、そして川
口の神懸かりのセーブで、どうにか前半を0ー0で終えハーフタイムを迎える。
 前半、ブラジルの怒涛の攻撃をどうにか凌いだ代表の姿に、私達は我を忘れていた。普
段、日本人は恥ずかしがりで感情を表に出さないと外国人に思われがちだが、あの日、ハ
ーフタイムに流れる音楽に併せて多くの日本人が踊り狂っていた。そしてあのゴールが…

 トルシェは決戦を前に、「自分達の哲学を貫いて死ぬ(破れる)なら本望」と語ってい
たが、ブラジル相手に受け身に回らずに自分達のパスを繋げるサッカーを押し進め一歩も
退けを取らない。
 ブラジルは前回大会の華やかなメンバーに比べれば若干実力的には劣るものの、ボール
扱いのうまさや、大きなサイドチェンジを交えて日本のスペースを突く攻撃は流石ブラジ
ルを思わせた。しかし前回のチームがいつかは得点出来るという落ち着き払った雰囲気が
あったのに対し、今回はキックオフ直後からパワー全開でぶつかってきていた。
 フィジカルの弱さを早いパス回しで補う日本のスタイルは、ブラジルの必死の寄せにあ
い、有効なパス出しに苦慮していた。しかし体格の面でブラジルは恵まれているチームで
はない。フィジカル面では五分にやれている印象を受けた。
 後半に至っては、ブラジルは足が止まり、徐々に日本がペースを掴む。スタミナの点で
も日本は力をつけているのが見て取れた。
 ただ攻撃の面ではやはり課題が残った。ブラジルはセンターバックの守備に脆さを抱え
ている。サイドにボールを出し、アーリークロスを入れて早目の攻撃を仕掛けたかった。
柳沢にはポストプレー後に、前線に飛び込む工夫が欲しかった。また中村も2人掛かりで
止められ、決定的な仕事を出来なかった。
 両チームには厳然とした差が横たわっている。だがその幅は4年前よりも遥かに小さい。

 試合終了後、ブラジルの選手が日本選手にユニホームの交換を申し出ていた。4年前は
屈辱の負けに、ブラジル選手は誰一人ユニホームの交換をしようとはしなかった。ブラジ
ル選手が確かに日本選手を認めた瞬間だった。
 スタジアムを訪れたブラジルサポーターは自国選手を拍手で迎えていた。オレンジボー
ルで「ロマーリオ」と大合唱してチームを糾弾していたブラジル人達が今は…
 オレンジボールでサポーターと共に勝利を祝う万歳をしていた日本選手も、4年後には
決勝ラウンドに駒を進めたにも拘わらず、喜びもせず試合に負けたことを悔しがっていた。

 夕闇に包まれたオレンジボールで、私はしょげ返るブラジル人の女の子に、「決勝ラウ
ンドに一緒に進もうね」と慰めて握手で別れた。でも現実はそうならなかった。
 ブリスベーンで観戦した人々は「決勝戦で会おう」と誓い合ったのだろうか。