第20回   サッカーの魅力とは  (2000年11月23日)

                                 M.Sunabata

 先日、サッカー好きの友人達とJビレッジに行って来たのですが、その道中にサッカー
を好きになった切っ掛けの話になりました。
 家族の影響だとか、高校サッカーを見てだとかそれぞれの思いを語っていました。
 で、私が「UAE戦の柱谷のヘッド」と話すと笑いの渦。プラティニとかマラドーナの
華麗なプレーを見てとか、カニーヒャやベッカムのように実力があっていい男系にクラク
ラきちゃったって言ったら誰もが納得なんでしょうけれど…
 闘将・柱谷と言えば、はっきり言って器用なプレーヤーではないし、お世辞にも美形と
は言えない(失礼!)選手ですから、みんなの反応も解らないではないのです。

 実は私、サッカーが嫌いだったのであります。小学校の体育の時間にサッカーをした時
のこと。私は結構運動神経がいい方で、男の子と張り合えるくらいだったのです。けれど
それが仇となりまして、好きだった男の子に押されて怪我をしてしまいました。女心と言
いますか、その男の子が嫌いになるのではなく、サッカーそのものを憎んじゃったわけで
す。それ以来、するのは勿論、見るのも嫌いと相成ったのであります。
 ところが理由は不明なのですが、アメリカW杯の1次予選の日本ラウンド対UAE戦を
なぜかしらテレビで見ていたのです。柱谷がヘッドを決めて腕をグルグルと回す姿を見た
時、身体の血がまるで逆流するような興奮に包まれ、人生が180度変わってしまったの
でした。


 ところで人生に於て、音楽と愛(SEX)と酒、最低この3つがあれば、楽しく生きて
ゆけるのではないかと私は思います。なくても生きていけますが、ささやかなモノである
けれど、これらがあればより豊かな人生を送れると思うのです。
 そしてサッカーはこの3つを包括しているのではないかと。


 サッカーは目に見える音楽だと考えています。それぞれ選手のプレーにはリズムがあり
ます。ドリブルで刻むリズムが違っていても、パスを出すタイミングが違っていても、相
手の呼吸を感じ・合わせることでパスが幾重にも繋がって流れていく。それに人々は溜息
を付いてしまいます。
 それは例えば、ジャズプレーヤーがセッションを行う時、各々がアドリブを入れて演奏
に変化をもたらしていても、呼吸があっていて、ソロ演奏の場面ではすっと他の演奏家か
ら浮かび上がって来て、聞く者に快さを提供している。その点がサッカーと音楽が似通っ
ているように思うのです。

 話は変わって、サッカーはSEXだと言う人がいます。ゴールが決まった瞬間のエクス
タシーがそうだということなのでしょう。確かにゴールが決まった瞬間は、愛する人の熱
情を受けて、肉体と魂を解放する歓びに重なるものを感じずにはいられません。
 またパスの交換に感じられるイメージのシンクロは、愛する相手と同じ感覚を持つプロ
セスとよく似ています。選手同士がパスを図ったように出し合えるのは一夕一朝ではない
ように、恋人同士が気持ちを通じさせるのと同じで、お互いの気持ちを探り、理解しよう
とする結果でしかありません。
 ま、恋路を邪魔するものが登場〜なんて、DFをそんな風に考えるのもご愛嬌かと。
 それから私のようにちょっとばかし情けないチームに惚れ込むことは、周囲の人に「あ
の人はやめなよ」と忠告されても、どんなに裏切られても、駄目な男(悪い女)を愛し続
けてしまうのと同じのように思います。

 サッカーと酒との共通点ですが、どちらも体が火照って酔うという点でしょうか。いい
お酒もいいサッカーも心地よさを与えてくれます。
 またたまたま酒の席を同じくしただけなのに、地位も身分も関係なく意気投合してしま
う人々に、スタジアムで偶然近くいるだけで、生活環境も年齢も違うはずなのに愛するサ
ッカーを語り、応援するチームの勝敗に一喜一憂する人々の姿がだぶる気がします。


 これがあるから人はサッカーに取り憑かれるのではないでしょうか?
 ピッチには心踊るリズムがあります、身を焦がす情熱があります、芳醇な味わいがあり
ます。そして私達の人生そのものがそこにあるのです。