第27回  汝、再びまみゆることなかれ (2001年7月13日)

                                  M.Sunabata

 フランスW杯の対クロアチア敗戦後、うつむきながら溜息をつく私に、初老のフランス
人紳士が声を掛けてきた。

 「君達はいいサッカーをしていたよ」。

 私はそれを嬉しく受け止めながらも、彼の発する言葉の中に、レベルの上の者から下の
者への「お誉め」の響きがあることを感じ取っていた。

 W杯に於ける様々な国のメディアも、日本代表に対する評価はまずまずの反応であった。
しかしそれは未知なる日本のサッカーが、各国メディアの思った以上に健闘を見せていた
ことについての概ね好評価であって、私はかのフランス紳士のあのほろ苦い響きを、反す
うしているに過ぎない気持ちに囚われた。


 それでも、中田英寿がイタリアのペルージャに移籍したことで、彼の活躍を通して日本
サッカーへの単なる健闘に対する賞賛から見直しに繋がっていってくれることを願ってい
た。

 中田は我々日本人ばかりかイタリア人の期待に余りある活躍をし、ペルージャという小
規模クラブからビッククラブにと、高みへの階段を駆け登っている。

 中田の後に続けとばかりに、名波・城・西沢が海外のクラブに飛び出していった。しか
し彼らが所属クラブに与えた出場機会は短かったこと、それと同時に彼らも短い時間内の
チャンスを物に出来なかったことにより、日本に帰らざるを得なかった。

 そのことは、中田個人の実力が突出していることを印象付けただけで、日本のサッカー
自体は世界レベルには未だ達していないはいないという認識を、変えるに至らなかった。

 そんな状況下ではあったが、その間に行なわれた世界ユースやオリンピックなどの年齢
制限つきとは言え、世界大会で好成績を残していたことは、中田クラスの原石が日本にい
るのではないかという、海外クラブのスカウトの目を引き付ける材料にはなっていた。


 そして中田がイタリアに渡り3年半たった今、トルシェズベーブズとも言える小野と稲
本が世界に向けて旅立とうとしている。

 小野はオランダのフェイエノルト。そして稲本はイングランドのアーセナルへ。両チー
ムとも、チャンピオンズリーグに出場が決定しているビッククラブである。


 小野・稲本の移籍が成功か否かは、彼らのサッカー人生のみならず、日本サッカーの評
価をも左右する。

 小野と稲本の成功は、中田の存在が特別なのではなく、世界に通じる選手を産み出す土
壌が、日本にあることを知らしめるであろう。

 中田の所属していたベルマーレはその名を世界に留めることは出来なかった。ジュビロ
が世界クラブ選手権で、Jリーグの1クラブとしてその名を世界的に刻むことを、多くの
日本人が期待していた部分もあった。しかし選手権中止の報により、その可能性は閉ざさ
れた。小野や稲本の名が認知されると共にレッズやガンバといった元の所属クラブが注目
を浴び、そしてかつては「年金リーグ」と揶揄されたJリーグに対する世界の見識を、覆
すことも可能になるやもしれない。

 Jリーグの認識が変われば、無名だが実力があって功名心に溢れる外国人選手がリーグ
を賑わし、日本を背負う次世代も世界に向けた指標が明らかになろう。

 そして小野・稲本に日本のサッカーに対する世界の認識を変革して欲しいのだ。


 小野や稲本が成功することは、即、彼らの移籍金や年棒を高騰させ、日本のクラブが買
い戻すことは、もはや無理に違いない。そうなれば当然、日本のクラブで私達は彼らのプ
レーを拝むことは出来ない。けれどそれでいい。「汝、日本で再びまみゆることなかれ」。