第38回  取り残された時間  −青木 剛−(2002.10.23)

                                  M.Sunabata

 アジア大会初の金メダルを賭けたピッチに青木の姿が戻ってきた。準決勝のタイ戦で豪
快なミドルシュートを叩き込んだ鈴木に替わって、後半頭からの出場であった。


 これまで日本はA代表でもアジア大会の決勝へ駒を進めたことさえなかった。次世代を
担うU−21でここまで辿り着いたのは快挙とも言えた。だがU−21代表は次世代を担う
とは表向きの評で、先の中田、中村、小野や稲本を輩出した年代と比べられ、何かにつけ
て「狭間の世代」とあまりにも冷遇された呼び方を受けていた。

 初戦のパレスチナ戦では2−0の勝利も、圧倒的なボールポゼッションを誇りながら、
守備的な相手の術中にはまった印象を残し、続くバーレーン戦では、前半に4得点を挙げ
て勝負を決めたかに思えたが、後半には心理的な優位を保てずにバランスを崩すという稚
拙な面も垣間見せる。かと思うと、ウクライナ戦では負傷者を出しながらも、PKで得た
唯一の得点を守り抜く粘りをみせて決勝ラウンドに進出。準々決勝の中国戦では、相手の
高さと展開力に翻弄されながらも腰の引けない闘い振りで、ワンチャンスをモノにする抜
け目なさを感じさせた。準決勝のタイ戦は前半に集中力が欠如したかのようなプレーをし
たが、後半は持ち直して3−0で完勝する。

 U−21は「狭間」と言われてしまうが、技術力はさほど他国に見劣りしない。それより
もメンタル面に左右される部分が大きい。だがその精神面も僅かずつではあっても、着実
な延びしろを示した。決勝までの困難な道のりに於て、その低評価を覆すしたいという意
地が、彼らU−21を突き動かしす根幹を成していたのだった。

 その中で、青木はウズベキスタン戦での負傷で、決勝戦まで出場機会を失うこととなる。


 決勝戦に赴いたのは、青木負傷後にここまで勝ち上がってきた、従来通りのスターティ
ングメンバーであった。前日のニュースでは怪我の癒えた青木の先発出場を濃厚視してい
たが、山本監督は「勝っている時のメンバーをいじるな」のセオリーを重んじてか、青木
を前半から使うことはしなかった。

 ファイナル前半の経過はイラン優位で進すむ。ナビドキアをゲームメーカーに据えたイ
ランは、多彩な攻撃を日本に仕掛けた。ナビドキアは高度なボールテクニックに併せ、パ
スを出すまでの判断スピードは両チームの中でも群を抜いている。ナビドキアは安定した
ボールキープでパスをサイドに散らし、アウトサイドの攻撃参加を促す。また単独でシュ
ートまで持ち込む力量さえある。イランの攻撃はショートパスを回すだけでなく、チャン
スとあらば躊躇なくミドルシュートを試みるという厄介さも持ち合わせる。

 イランは守備面でも強かで、アビドキアはしつこく付きまとうわけでもないのに、攻撃
する側にいやらしいという感情を抱かせる守備のポジショニングを取る。ディフェンシブ
ハーフのネクーナムの派手さはないが堅実な守備と相まって、アウトサイドを含めた5人
で守備陣形を組むイランにとって、その守りの布陣を整える時間を稼ぐ心憎さであった。

 それ故、日本の中盤を支える森崎と鈴木は、思うように攻撃の起点にはなれず、守備を
固めたイランを中央から大久保や松井がドルブルを駆使して攻め崩そうにも、5バックと
なった相手の網は必要に絡んでくる。根本はオーバーラップを繰り返すアミルババディに
手を焼き、右から攻め上がる田中(隼)が一人気を吐くだけとなった。

 それこそイランに気圧される展開ではあったが、それでも辛抱して難敵を打ち破った自
信に支えられ、日本は前半を0−0で折り返す。


 前半の闘いを振りを回顧し、山本監督は後半スタートから勝負に出る。連戦の疲れの見
える鈴木と交代で青木を投入した。青木をCBに入れ、阿部はボランチのポジションに上
げる。阿部のキープ力と正確なフィードにより、サイドを高い位置でプレーさせるのと同
時に、攻撃に逸る相手の背後を素早く突いて得点を取りに行く狙いがあるように、私は感
じた。

 ともかく屋台骨であるセンターラインを2枚替えたことになる。特に周りとの連携が必
要不可欠なディフェンスの要を青木に任せるということを、私は山本監督の青木に対する
信頼の厚さと受け止めた。

 後半開始を告げる主審のホイッスルを聞く青木には、大一番に向けた余計な緊張感はな
かった。少なくとも端からはそう見えた。ところがたった2分で青木に苦境は訪れた。イ
ランが放り込んだボールを根本がヘディングで中に落とす。三田は普通にそのボールを追
っていた。だが三田の視界にボールに詰め寄る青木が飛び込んでくる。驚いたように三田
は動きを制御した。青木も思わず動作を止める。それはお互いに声さえ掛け合えば防げる
単純なミスであった。ボールは2人を擦り抜け、ガゼメヤンが先制点を挙げた。

  それでもビハインドを背負ったU−21の面々は、挫けるどころかまだまだこれから
という気概があった。失点後にイランに反発するかのように攻撃を仕掛けた。

 それも後半10分を過ぎた辺りからイージーなミスを繰り返し、イランペースに試合は引
き戻される。攻守の切り替えの遅くなった仲間を鼓舞するように、黒川が奮闘してイラン
の攻撃からゴールを死守する。

 このプレーに呼応して、U−21にも明るい兆しの見える攻撃が続いた。後半27分、30
分と絶好のシーンは巡ってきた。残念なことに審判のポジショニングの悪さが、そのチャ
ンスを潰していたとは言えども…

 その気運に水を注したのは、またも青木のミスであった。池田がファウルを誘って日本
のリスタート。池田はイラン選手に足を踏まれながらも奪われまいとしたボールだった。
だが目を覆いたくなる大失態を青木は犯した。何のプレッシャーもないフリーの状態にも
拘わらず、こともあろうか青木はゴール中央にいたバヤティニヤにボールを渡した。当然、
こんな幸運を活かさない者はいない。バヤティニアは確実にゴールネットを揺らした。

 跪く味方を放心したように見渡す青木。スタジアムに駆けつけた日本人以外の観客は、
青木に向って嘲笑を降り掛けた。

 その後、中山が1点反すも、2点目を挙げた歓びのあまりイランが緊張感を失ったから
とも言えた。だからイランは流石にそれ以上の失点を許すことなどなかった。

 試合終了と共に、三田は頭を抱えるように地面にうっ伏した。後半2分の半端になった
プレーが自責の念を呼び起こし、悔し涙に暮れる。三田のように泣けるのは、全力を尽く
しながらも、試合に後悔を残した者には似つかわしい。

 蹲る三田を映す青木の瞳には、涙を湛えるこさえ出来なかった。精一杯のプレーもする
こともなく、試合をぶち壊した青木は、心許無い歩みでふらふらと彷徨うしかなかった。


 青木は所属チームの鹿島でディフェンシブハーフとしてプレーする。だがU−21では怪
我人などの事情により、アジア大会開幕直前となって青木はCBにコンバートされた。そ
れは青木のサッカーセンスの高さが成せる技でもある。

 そんな青木が欠場した間に、アジア大会の緊迫したゲームは、プレーヤーに世界の怖さ
を伝え、チームメイトを心身ともに確実に成長させていた。青木だけを置き去りにして。

 決勝という消え失せた時間は二度と戻ってはこない。しかし選手の成長過程として時間
を捉えるならば、青木にとってあの決勝戦はチームメイトから取り残された時間でしかな
い。取り残された時間ならば、取り返すことは可能だ。

 青木が諦めない限り、他のU−21の選手達はそう遠くには行かない。必ずや追い付くこ
とが出来るはず。青木の弛まぬ気持ちがあるなら、その時アテネの地にいるに違いない。