第9回 トルシェ監督に付いての私見(2000年5月5日)

                                M.Sunabata

 トルシェほど、語り手によってその人物像が極端に違う人間はいないかもしれない。

 ワールドユースの時、マスコミがトルシェと選手の不協和音を伝える記事を書いていた
が、実際に試合を通じて見えてきたのは、トルシェを中心にチームが結束しており、それ
を示すようにゴール後に彼の許に集まる選手の姿があった。

 今回の解任報道の折にも、マスコミを含めた外部の冷たい反応とは裏腹に、「韓国に負
けたのは選手にも責任がある」とか「今は監督とチームを作っている段階」という、異口
同音の選手のコメントを見聞きするに付け、選手達の彼に対する信頼の厚さを感じずには
いられなかった。


 またトルシェの実績に対する評価にしても、ワールドユース、オリンピックという若手の
チームと、A代表とではあまりに違いがある。

 ワールドユースの準優勝に、シドニーオリンピック出場権獲得と、若い世代のチームの
実績では文句の付けようがない。
 トルシェは若いチームを掌握し、短期間にフラットスリーという戦術を浸透させた。そ
の功績は大きい。それだけでなく、試合運びに関しても、試合中にチームとして機能して
いない部分を見つけると、早目に選手交代を行いチームを修正するという、判断力と決断
力がトルシェにはあった。

 しかしA代表となると、不向きではないかと思われるポジションでの選手起用をしたり、
交代の判断にしても遅くなったり、ちぐはぐしていたりと、その能力に疑問が生じること
も少なくない。もちろん結果にしても、納得の行く成績を残していない。

 先日の韓日戦にしても、韓国にゴールを決められた後の一慣性のない選手交代は、トル
シェのパニック振りを表わすようで、見るに耐えないものがあった。


 ライターの後藤健生さんの話を伺う機会があったのだが、マスコミや一部の協会幹部が
騒いでいる「得点力不足」のことに付いて、その議論を今の段階でするのは意味がないの
ではないかということを話されていた。
 なぜならトルシェは攻撃面をどうするかということに付いて、何も着手していないから
だ。

 後藤さんの言葉を借りれば、「トルシェは優秀な英語教師」だということだ。つまり教
科書に沿ってレッスン1、次はレッスン2と順番に丁寧に教え、1年たったら生徒は教科
書に載っている内容を総て解るようになっている、そういった教え方をしていると。だか
らすぐに英語が使えるという応用力はないが、1つ、1つの課題を時間を追って、確実に
マスターしていけるということだ。

 つまりトルシェは今まで、ディフェンス面での彼の考え方を、チームに浸透・実行させ
ることだけに力を注いでいたわけである。そしてフラットスリーという戦術を選手が理解
し、それを体現できるという地点に、現在到達したところである。


 しかしそのフラットスリーだが、中盤でパスを回しゲームを作ってくるチームが相手で
あるとか、日本が中盤を制している時は、有効な戦術なのだが、素早いサイドからの揺さ
振りや、相手が中盤を省略してロングボールでディフェンスラインの裏を狙ってきた場合、
それに対して弱い側面を持っている。

 その弱点を顕著にしたのが、カールスバーグ杯のメキシコ戦であり、キリンビバレッジ
サッカーの中国戦である。
 カールスバーグのメキシコの得点は、素早くサイドにボールを回すことで、組織で動く
ディフェンダーの機能を崩すという、フラットスリーの弱点を巧みに利用して挙げた得点
であった。
 また中国戦では、相手がミスをしたことで得点には到らなかったが、ディフェンスライ
ンの裏を突かれて危ない場面があった。得点力のあるFWがいるチームが相手であったな
ら、DFがこの試合のように踏ん張れたかどうか解らないところだ。

 今回の日韓戦、オリンピック代表が日本に連敗していたこともあり、韓国は日本をよく
研究していた。おそらく、メキシコ・中国戦もその対象であっただろう。韓国は前半から
中国のようにディフェンスラインの裏を狙ってきていたし、メキシコのようにサイドアタ
ックもしてきた。もともとサイド攻撃は韓国のお得意ではあるが…そしてメキシコ戦を思
い出させる状況で、韓国は得点を決めた。

 日本が得点出来なかったことより問題視されなければいけないのは、メキシコ・中国戦
でフラットスリーが通用しない場合を経験していながら、その弱点を突いてきた韓国に対
し、弱点を修正した戦い方を具体化出来なかったことだと思う。


 ところで、協会とトルシェの間で、この韓国戦はどういう位置付けにあったのだろうか。
あくまでこの試合は親善試合でしかない。トルシェの采配を見ていても、本気で勝ちにい
ったのか、それともテストの場であったのか、見ている側には計り兼ねるところがあった。

 協会もトルシェに対して、この試合がどういう位置付けにあり、その結果が契約更新に
どう影響するのかの説明を、伝えてなかったではないかと思われる。


 「トルシェは有能なコーチである」と後藤さんは話されていた。練習を見ていると、J
リーグのチームがどこも取り入れていない練習メニューを組み、選手に飽きさせないほど
パターンが豊富だそうだ。また選手の心理面をうまく操作し、怒ることで選手の発奮を促
し更なるパワーを引き出したり、気持ちの落ち込んだ選手には話を聞いたりしてケアーす
るなど、メンタル面での対応の仕方も心得ているとのことだ。

 しかしネガティブな要素は、協会・マスコミに対する接し方で、トルシェ自身がうまく
セルフコントロール出来ない為に、協会やマスコミと余計な摩擦を起してしまうことにあ
る。

 また試合に際しても、優位に試合を進めている時はいいが、窮地に陥った時に冷静な状
況判断が出来るのかということがある。


 今の時点で、私は条件付きでトルシェを支持している。それはベンゲルが総監督となり、
トルシェは実質的にアシスタントコーチとなることだ。本人も自分の上にベンゲルが来て、
ベンゲル―トルシェという形で日本代表を指揮したいという気持ちがある、私はそう伝え
聞いている。今後その方向で行くのであれば、私は悪くないと思う。

 ただトルシェ単独となると話は別だ。もちろんシドニーオリンピックはトルシェ監督が
チームの指揮をすべきだと考えている。しかしアジア杯は、同組にサウジアラビア、カタ
ール、ウズベキスタンがおり、真剣勝負の場である。同組に入った国々に破れるようでは
ワールド杯での勝利はおぼつかない。これをトルシェ監督の最後のチャンスとすべきだ。

 だから協会もトルシェにクリアーなノルマを課して、対外的にもそのノルマが明確に解
るようにし、その結果によって結論を出すべきだと思う。

 もしトルシェが解任になってもワールド杯までの時間は十分にある。オフトが日本代表
をまとめ上げた時間とそう変わりないのだから。