守備重視のサッカーではいけないの? vsスペインから

                                 M.Sunabata

 なぜ日本では、守りを固めるサッカーの評判が芳しくないのだろうか?

 スペイン戦後のスポーツ紙は、守備重視の闘いを繰り広げた日本代表に、おおむね批判
的な記事が紙面を埋めていた。
 某サッカー専門誌には「非常識でアンフェアな行為」と断罪するもライターまで登場し
た(アンフェアってルールを曲げて闘ったわけではないと思うんだけど)
 賛否半々ではあったが、サッカーサイトの掲示板の方がよほど建設的意見が交わされて
いたくらいだ。

 守りのサッカーが好きか嫌いかの問題として語るのであれば、その人個人の好みなので
口を挟むものではないのだけれど…


 サッカーには攻撃と守備がコインの裏表のように存在する。一方のチームが攻撃すれば、
他方は守備に回る。対戦するチームの力関係によって、力のある方が攻めの時間が長くな
り、弱者は守りの時間が長くなるだけのもので、攻め一方もなければ、守りしかないサッ
カーも有り得ないのではないだろうか。

 守備に重点を置くサッカーを展開する国はもちろんある。

 例えば「カテナチオ」と言われる伝統的な守りの戦術があるイタリア。セリエAという
あれだけ華麗なパス交換をするリーグを持ちながら、代表の試合となると手堅い守備を行
うゲーム運びをする。
 最近の低迷により守備の形を試行錯誤してはいるが、リベロを据えて1対1の守備に強
いドイツ。
 ユーロ2000ではショートパスで相手を崩す魅惑的なスタイルに変貌してしまったが、
96年の同大会では全員が自陣に戻って守備を固めて速攻に命を賭けていたチョコ。

 いずれの国もヨーロッパサッカー界では一目を置かれるような国である。

 ただどの国もはっきりとした攻撃のスタイルを持っていたのも事実だ。

 イタリアはワントップと1.5列目の選手に2列目の選手の3人で、相手ゴール前に素早く
ボールを運ぶ能力に長けている。
 ドイツは正確なロングパスを前線に送り、それを受けてシュートまで持っていける屈強
なFWがおり、また役回りが固定化していることもあって、サイドが深い位置からでもセ
ンタリングを入れて、相手に揺さ振りをかける力もある。
 96年のチェコの場合は、上背があって足元のタッチも柔らかなクカがドリブルでゴー
ル前に突進するか、右サイドを疾風の如くポボルスキーが駆け上る。それに絡む選手も1
人2人程度で、攻撃のオプションはそれくらいしかなかった。

 しかしこのパターン化した攻撃を、どの国も徹底的に遂行する忍耐力と力強さを持ち合
わせている。


 さて今回の日本代表に付いて。後半のロスタイムの失点については頂けない。強豪チー
ムと対戦するに当たって、勝ち点1でもいいから奪取する為に守備的ゲームを進めている
のだ。だからあの状況でいかに踏ん張るかは大きな課題だ。ただ守備面の評価は概ねよし
だとは思っている。

 問題は攻撃のオプションを見出せなかった点だ。
 現在の代表がFWに楔のボールを入れてそこから攻撃を展開するのであるが、守備重視
の戦術を取ると、そのボールをフォローする2列目以降の選手の上りが遅くなってしまう。
FWがボールをキープする、またはドリブルで突っかけて回りの上る時間を作るようにし
なければいけない。
 それが通用しないのであれば、それに変わる攻撃、たとえワンパターンになってもいい
からはっきりした形を持つ必要があるのではないだろうか。


 今の日本代表にとって1番大切なのは、どんなに格好が悪いと言われようが、強豪国に
は守備に重点を置いてでも勝ち点をもぎ取ることだと思う。

 チェコ代表が4年であんなにも変貌を遂げられたのは、96年のユーロで守備一辺倒の
サッカーを貫いて準優勝という成果を挙げ、それが認められて多くの選手が海外でプレー
するチャンスを得られたからだと感じている。自信に加え、世界的なリーグで揉まれたこ
とで、プレーに円熟みを増してしていったに違いない。

 日本についても、アトランタ五輪で守備的な闘いではあったがブラジルに勝ったことで、
次の世代が世界ユースやシドニー五輪にて、自信を持って闘えたのではないだろうか。

 もしW杯2002で守備的なサッカーであっても勝ち上っていけば、海外に移籍する選
手も増えて、人々が望む攻撃的チームに自然に移行することが出来るように思う。
 ともかくフランスのような守備も攻撃も強力なチームになるには、1歩1歩階段を上る
しかないのではないだろうか。その鍵はやはり守備にあるように思えてならない。