胸なんて借りない!−揺らしを仕掛ける為に−

                                 砂畑 恵

 アルゼンチン代表を見ていて、マラソンランナーの「揺らし」に似たものを感じた。

 マラソンというと、アスリートのスピードだけが反映する競技ではない。コースの起伏
を利用しながら、走るペースをアップダウンさせて「相手を揺さぶる」ことでライバルを
蹴落す。例えばローペースの展開にして、周囲の選手がそれに順応したところで、急激な
ハイペースに持ち込んだりする。急なスピード変化は、ある一定のリズムに慣れたランナ
ーにとって、体内にあるギアを簡単にチェンジ出来なくなってしまうのだ。走りのリズム
の変化を駆け引きする、延いてはその主導権を握ることが、勝者になる為に重要なファク
ターである。揺らしを仕掛ける時を見極め、その時を逃してはならない。

 アルゼンチンの2得点は、後半の始まりから僅か4分間のことだった。しかもどちらの
ゴールも右サイドから起こっている。1点目は右サイドで貰ったベーロンのFKから、オ
ルテガへと繋ぎ、オルテガのパスをゴール中央で構えたソリンが右でボールを受けた後に
反転して左足でゴールしている。2点目はソリンの戻したボールを、ベーロンが右に開い
たオルテガに叩き、オルテガがゴール前にセンタリング。ゴール前に詰めていたクレスポ
の頭にドンピシャのタイミングであった。

 前半のアルゼンチンの右サイドの攻撃では、ベローン・オルテガ・サネッティの3人が
絡んでいる。ベーロンは中央から右サイドで主にプレーし、多くのパスを3トップの右で
プレーするオルテガ、後方から攻撃に加わるサネッティに配給している。この3人でショ
ートパスの交換をし、ドリブルでの仕掛けによって日本の左を崩しにきていた。

 ところが後半、アルゼンチンの右の攻撃は違っていた。ベーロンのパス出し役というの
は変りはないが、それまでドリブルで仕掛けていたオルテガは2タッチで決め球をゴーラ
ーに送り込んでいる。そしてベーロンとオルテガにパス交換で拘わっていたサネッティは、
それまで通り、右のタッチラインを上がってきて攻撃参加の素振りを見せた。3人は動き
自体を同じと見せかけ、ボールへのタッチ数を減らし、シュートまでの過程をスピードア
ップしたのだ。ドリブルが得意なオルテガに対し、中西と松田は身体を寄せ過ぎたり、ま
た迂濶に飛び込んで簡単に抜かれないよう間合いを空けていた。だが少ないタッチでパス
を出すということには警戒が薄れていた。そしてサネッティの動きは、1点目では中村の
注意を引いてFKを蹴るベーロンに自由を与え、2点目では中田浩の視線を釘付けにして、
オルテガから注意を削ぐ囮りの役割をした。

 後半の立ち上がりという場面で、アルゼンチンが仕掛けた「揺らし」はグッとタイミン
グであった。日本の左側は、前半に行なっていたベーロン・オルテガ・サネッティのトリ
オが織り成す、ショートパス&ドリブルの攻撃ペースに守備のタイミングが合致し、前半
は得点を許さなかった。その余韻が日本の選手の身体にはくっきりと刻まれていた。そん
な中での急激なリズムの変化。ただでさえ頭の切り替えが難しい後半立ち上がり、その変
化に付いていくことが出来なくなってしまったのだった。

 日本代表はこの試合で積極的な攻めを見せてはいた。たが、がむしゃらさだけが目立ち、
じっくりと時の利を見定めるという落ち着きなどない。そこには、日本代表の意識下に根
強く残っている、アルゼンチンという強国を相手に「胸を借りる」という気持ちが作用し
ていた気がしてならない。アルゼンチン代表はまんまと日本代表を自らのペースにはめ、
絶妙なタイミングで先手を打ち、日本代表を揺り落とした。

 アルゼンチンは世界に名だたる強豪国ではあるが、もう必要以上に意識するのは止めて
いい。「胸を借りる」とは相手に喰らい着いていくということであり、ゲームのイニシア
チブを握ろうとする積極性が足りなくなる恐れがある。仕掛ける側にまわり、自分達のペ
ースに引きずり込むという点で、いまや韓国はアジアの中では取り分けリードしている。
強豪チームとも腰が引かない自信が漲っている。日本代表は受動的な心の持ちから、相手
を揺らして仕掛けるという能動的なチームに脱皮する時期にきている。どんな強豪国に対
してもイーブンな気持ちを持つことが、揺らしの仕掛けを会得する最初の一歩かもしれな
い。