熊本バンド

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熊本バンド(くまもとバンド)は、札幌バンド横浜バンドと並んで日本の明治プロテスタント派の3つの源流の1つである。

1871年熊本洋学校が設立された。招かれたアメリカ人教師L.L.ジェーンズの 信仰と情熱が青年達を動かし、多数の入信者を産んだ。ジェーンズは平信徒であったので、長崎在住の宣教師と相談の上、洗礼の礼典を行った。ジェーンズの教 育方針は、道義的国家の確立のために、神の信仰に生きる自主的な個人を形成することにあった。こうした教育観が、士族の子として生まれながら、藩制の解体 で忠誠の対象を失った青年達に、新しい目標を与えた。

1876年、洋学校の生徒35名は熊本城花岡山で集会をして、「奉教趣意書」に誓約した。こうした契約によって結ばれた人々をバンドと称した。この趣意書は「遂にこの教を皇国に布き、大に人民の蒙昧を開かんと欲す。」とあるように、個人的な誓約や教会形成を意識したものというよりは、キリスト教と国家との関係を意識したものであった。

洋学校は1876年に閉鎖されたが、金森通倫、横井時雄、小崎弘道、吉田作弥、海老名弾正、徳富蘇峰ら青年達の多くは、新設間もない同志社英学校に転校し、同志社の大きな位置を占めるようになっていく。

主なメンバー [編集]