徳富蘆花
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徳富蘆花(とくとみ ろか、本名は徳富健次郎、明治元年10月25日(1868年12月8日) - 昭和2年(1927年)9月18日)は、日本文学の小説家。「徳冨」と表記する場合がある。
横井小楠門下の俊英であった父徳富一敬の次男として熊本県水俣に生まれる。兄は、思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰(猪一郎)。熊本バンドの1人として同志社英学校に学びキリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒する。兄の下での下積みの後、自然詩人として出発し、後に『不如帰(ほととぎす)』などの作品を残した。近年では探偵小説の作家としても注目されている。
1910年、大逆事件の際、幸徳秋水らの死刑を阻止するため、兄・蘇峰を通じて桂太郎首相へ嘆願しようとするが間に合わず処刑されてしまう。直後に一高での講演を依頼されると『謀反論』の題で論じ、学生に深い感銘を与えた。
明治40年、北多摩郡千歳村字粕谷(現・東京都世田谷区粕谷)に転居、死去するまでの20年間をこの地で過ごした。蘆花の死後、旧邸宅は夫人より東京市に寄贈され、現在は蘆花恒春園(面積約7万m²)として開放されている。夫妻の墓のほか、徳富蘆花旧宅も保存されている。蘆花の名前は、公園から徒歩15分の位置にある京王電鉄京王線芦花公園駅にも残っている。
熊本県熊本市には徳富蘆花記念園、群馬県伊香保町には徳富蘆花記念文学館がある。
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作品
- 『不如帰(ほととぎす)』
- 『灰燼』
- 『思出の記』
- 『黒潮』
- 『みみずのたはこと』
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