『独立少年合唱団』


ゲスト:緒方 明監督、香川照之さん、藤間宇宙さん


緒方 明監督(以下、緒方)
どうもありがとうございました。監督をした緒方明です。
こんなにたくさんの人に観ていただけるとは思いませんで、ちょっと感動で・・映画も素晴らしいと今自分で観て思ったんですけど(笑)、
皆さんと一緒に観れて、しかもここの体育館はずっと合唱の練習をやっていたところで、ホント香川くんと二人で宇宙や伊藤淳を
文字通りひっぱたきながら5年前にやったところで、一緒に観れて感慨もひとしおです。どうもありがとうございました。
 

藤間宇宙さん(以下、藤間)
こんにちは。みなさんありがとうございます。僕はもう二十歳になりました。
すごい懐かしい所なんで、皆さんとこうして映画を観ることができて幸せです。よろしくお願いします。

 
香川照之さん(以下、香川)
どうも、今日はほんとに・・少し寒くなりましたけれども、寒い中2時間10分ですか、観ていただきましてありがとうございます。
この映画は伊参で撮りまして、その翌年に緒方監督とベルリン映画祭という、僕にとってもそれは初めての・・国内外通じて初めて出席した
映画祭だったんですけども、伊参で撮っている時から世界中の人に観てもらおうということを合言葉にここの体育館で毎日言っていて、
それがベルリン映画祭に行き、緒方明監督が新人監督賞をそこで取られて、それで5年を経てまたこの伊参に戻ってきて、
皆さんと・・僕は多分、スクリーンで『独立少年合唱団』を観るのはあんまりもうないかなと思って今日最後は観させてもらいましたけど、
やっと伊参に帰ってきて、なんかこう、一周してきたなと。『独立少年合唱団』が帰るべきところに帰ってきたなという感慨は非常に持ちました。
今日は本当に・・皆さんとこの一本を観れましたことを本当に幸せに思います。今日は来ていただきまして本当にありがとうございました。

司会(以下、★)それでは早速対談の方に入らせていただきますが、先ほど控え室の方で3人久しぶりに会って、話が盛り上がっていましたが・・

 

緒方 いやもう、宇宙は実は会うのはもう4、5年ぶりですね。
 
藤間 そうですね、はい。
 
緒方 だから本当に2000年か2001年に会ったきりなんですね。いやもう涙が出る位嬉しい、大きくなって・・。
 
 
かなり撮影中は厳しかったという噂を聞いているんですが?

 藤間 厳しかったどころじゃないと思いますね、はい。

 
具体的には?
 
藤間 具体的に、ほんとに何回も走らされましたし、何回も叩かれましたし、ここでも怒られた記憶が何回もありますね。

 
何か香川さんと二人で窓際に立っている姿を目撃したという話も・・。
 
香川 (笑)だから映画の撮影をしたという記憶はないですね、僕は伊参スタジオでは。
本当になんか子供たちと一緒に・・なんていうんだろうな、気持ちがぴっしり立つということをするために、
その一つが気をつけだったんですけれども。
もう一つはこの体育館で毎日ホントに20人くらいの生徒に・・まあ宇宙もそうだけど、なぜ君たちはここにいるのか?
という質問から初めてですね、映画を撮るなんてことのために来てるんじゃないんだ、と。映画を撮るなんてのは付属物なんだ、と。
お前等の人生全てをかけて歌う!とかなんかもう映画とリンクしたような内容をですね、ずっと言いつづけてきてた一年間でしたね。
だからそういう意味では本当に厳しい指導下でやってもらったと思います。

 
緒方 香川さんはもう俳優じゃなかったですからね。監督、どうやってあいつをシメましょうか?とかね(笑)。
あいつはもう駄目ですよ、この映画もう駄目ですとかそこまで・・。

 

香川
 
(笑)。いやいや、レールとかも移動の時撤去してましたから・・。
 

緒方
 
香川さんは出番がない時もずっと現場にいるんですよ。で、お弁当・・お弁当はなかったんだ。
全部し出しというか、コック呼んでこっちで合宿生活でシチューとか作ってましたから、香川さんそれを作ったりとか、
あとはレール運んだり、機材運んだりしてましたね」
 
香川 今絶対できないですね、この映画。絶対できない自信持って言える(笑)。



 
宇宙さんは今大学2年生ということで先ほどお伺いしましたが、『独立少年合唱団』の時の経験が生かされていたりしますか?
 
藤間 そうですね。ちょうど高校受験を控えていた頃で・・中3ですね。中3の頃で夏休みで、めっちゃ宿題とかあって、
監督に国語だけ教えてやるよって言われた覚えがありまして、よく国語だけは教えてもらってたような気がします。
 
最近まで海外にいられたということですが?

 
藤間 そうですね。先週までオーストラリアに、はい。


 

久しぶりに来た日本はどうですか?いきなりここ伊参まで来ちゃったんですけど。

 
藤間 そうでうね、寒いです(笑)。

 香川さんはピアノとか指揮とか、この撮影で全てマスターしたと・・。
 
香川 まあ、ホントに伊参から帰って東京にいる間は割と・・3月5月8月10月11月でしたっけ、来たのは?
 
緒方 そうですね。
 
 
香川 その間東京で何してたかっていうと、本当に民家みたいなところで歌の練習をひたすらするわけですよね。
この映画の中でも出てましたけど清水先生っていう、女子高を率いている先生の役で出演されてましたけど、
その清水先生の話を聞いて、なんか色々言われて、子供たちがぴしっとこう、精神的に立っていくんだけれども。
俺なんて話聞いてても泣いちゃうんだよね、なんかいい話されて。ひと泣きした後に歌うみたいな・・
だから歌う練習ばっかりして俺もピアノも指揮もしましたけれども・・。
 
緒方 ピアノは廊下かなんかで練習してたんだよね?
 
香川 ピアノ・・まあ、うち狭いもんですから置く場所がなくて、クラビノーバってのを制作のスタッフに用意してもらって、
建物の共同の廊下に出して、マンションの。
そこで弾いてて、よく隣の人と目が合って・・なんかバーボンかなんか飲みながら練習してたもんですから、酒を上においてこう・・。
 
緒方 弾けるようになったんですよ・・それで映ってないんですよね(笑)。
 
香川 ・・見えないための努力がいかに必要かってことを・・。
 
緒方 3秒くらいしか映ってないんですけどね。
 
香川 ・・ま、でもそれは本当に、これが藤間くんを始めとした子供たちが主役じゃなかったら僕は練習してなかったかもしれないです。
つまりその映画っていうのはフリじゃなくて、そのものであるってことを見せるためっていうのを、どっかで僕自身も彼等に見られてる
ってことを思ってたんですよね。だから子供たちに、映画はフリ・・弾いてるフリとか、後で音を入れるとか、そういうことを見せちゃ
いけないんじゃないかってどっかで思って。で僕自身が襟を彼等によって正さしてもらったっていう。
そういう思い出の一本でもあるんで、映画に映ろうが映らまいが、きっちりとした努力をすると、いうところから、気が狂った人が
一人増え二人増え(笑)、皆真剣になって目がいっちゃってたなぁっていう思い出があります。
 
合唱も全て吹き替えなしでされているんですよね。
 
 
緒方 そうですね、だからデビュー作だったもんで、僕は。これ撮ったのは39歳で僕はこれを撮ったんですけれども、
39歳で映画監督デビューっていうのはやっぱり遅いわけですよね。で、やっぱりその時に、それまでテレビのディレクターやってて、
やっと映画撮れるっていうことでなんか、そこで全てをちゃんとやろうという、とにかく全てをちゃんとやるんだと。
そのちゃんとやるってのが何かって言ったら、別に映画をちゃんと作るってのじゃなくて、映画を作る過程をちゃんと嘘をつかないで
お客さんに観せようというのがあったんで、だからそういう意味で・・香川さんに最初会った時も、8ヶ月付き合ってもらえますか?
から始まったし、だから(藤間さんを指し)こいつらにも合唱はちゃんと自分達の声でやるんだよっていうので始まったし、それでここを
選んだこともやっぱり演出なんですよね。お金がなかったんで、一食300円以内でこの食材とかなんか書いて、で、普通は差し入れは
ビールとかもらうんですけど・・お米をもらいまして、そこで皆で炊き出しやって食べながら。
一種のなんか伊参、それから中之条、それから吾妻町ですか、だからあの辺がもう撮影所みたいな感じで、なんか極限状況の中で
やってましたね。だからその事自体がこの映画を支えたんじゃないかと思います。だから朝僕は中之条の駅からスタッフの方に送ってもらって
きたんですけれども、背筋が伸びましたね。ああ、この場所で作ったんだ、この場所だから作れたんだってことをつくづくほんと思いました。
 
先ほど香川さんも、土地の空気感で映画が作られるってことをおっしゃってましたけれども・・。
 
香川 僕はこのごろつくづく思うんですけど、映画っていうのはもうその土地というか大地というか、どこに人間が立っているかで
ほぼ決まるっていう気がするんですよね。それに俳優もスタッフも、素直にその大地を受け入れればいいというか・・それでもう終わってると。
人間がちょこちょこやることなんてのは、ほんのちょっとしたことでしかなくて、もちろんその集合体ってのは力大きいと思いますけど、
やっぱりこの土地の持つ力ってのはホントに偉大であると思うんですよね。・・この伊参が偶然ではなく、良質な映画を何本も
送り出してるってのはきっと、この伊参という土地がホントに映画の神様に誉めてもらってる土地なんだということを新たにこの映画を観て
思ったと思います。人間ではなくて土地が映画を作るっていうか・・土が作っているなって気がしますね。
 
 
映画を撮って以来こちらにプライベートとかで皆さんいらっしゃったことはあるんでしょうか?
 
緒方 僕はないですね。僕はだから、99年の秋か、あれから来てないですね。
 
藤間 僕もないです。
 
香川 皆そうですね。だから坂登って来る時にホントに懐かしかったね。
 
緒方 なんか嫌な気分になりませんでした?(笑)。
 
香川 いや、俺は登って来る間に“たけやま”っていうそば屋さんでよく車止めて山をじーっと眺めてたりなんかしたから、すごいなんか・・。
 
緒方 その頃香川さん・・今もそうかもしれないけどもやたら走ってましたよこの辺。
 
香川 そうそう、鬼のアスリートだったね(笑)。
 
緒方 今日何してたんですか?って言ったら、中之条からここまで5往復してましたとかね・・。
 
香川 美野原山荘っていう所に泊まってたんです・・美野原山荘のお母さんに多分嫌がられてたんじゃないかっていう位、
走ってきます、って言って、汗だくで帰ってきたり、一人で隣の美野原カントリークラブに行ってゴルフ一人で回ってきたり、
大学の部活みたいなことしてましたよね。だからとにかく体を・・この映画の中の清野っていう人物が、きっと休みなら
走ってるんじゃないのかなぁという、なんか清野という人物がどうかっていうこと。子供たちはホントにその中の人物に溶け込んでましたから、
大人からそのブロックを崩すことはできないって恐れからなんかいっぱいいっぱい表面張力を毎日張ってたなぁという気はしています。
またこの坂がキツイんだねぇ(笑)。この伊参スタジオの前の道の。今思い出した、今絶対出来ないね。
 
なにか監督、ここはとても印象に残るシーンなんだよというのはありますか?
 
緒方 たくさんありますけどね。たくさんあるけど(藤間さんを指し)こっち聞いた方がいいんじゃないですか?
 
香川 そうだね、宇宙に聞きたいね、5年経ってどうなのこれ?どう観るのよこれを?
 
藤間 そうですね・・とりあえず線が今より全然細いうことですかね、あと・・綺麗に映していただいて・・。
 
緒方 そうじゃなくて、どのシーンが辛かったか、覚えてるか・・。
 
藤間 どのシーン・・線路の・・。
 
緒方 ああ、あれね。
 
藤間 はい。最初の方のところです。
 
緒方 そうだね。僕の名前は伊藤康夫です、っていう・・延々やったもんねあれね。
 
藤間 何回位走りましたっけ?
 
緒方 いや、わかんない。朝やって夕方やって、100回位走ったよね。
 
藤間 100回位走りましたね。
 
緒方 やってるやってる。あれ朝の設定なんですよ。でも結局夕方撮ったんです。朝撮れなかったんだよね。
 
藤間 そうですね。
 
緒方 いっぱいいっぱいになって撮れなくなっちゃって。駄目駄目言って。
 
藤間 なんか、ガムシャラに走ってた・・。
 
緒方 彼は、あれワンカットでずっと撮ってますから、ずーっと奥の山の方から走ってこなきゃならないんですけど、それをずっと・・。
 
藤間 裸足でしたよね。
 
緒方 裸足・・一応なんかね、足袋みたいのをやったんじゃないかな。それで、それ100回位やってますから、ホント何十キロって走ってますよね。
で、僕は確かね、あのシーンが終わって、お疲れさま、つって階段登れなかった記憶があるんだ、あれで(笑)。
中腰で腰痛くて。だからこっちも相当辛かったような記憶はありますね。・・香川さんは何を覚えてるでしょうか。
 
香川 まあでも俺はそのカットっていうよりも、やっぱこの体育館で皆を前にして、最初はやっぱね、遊びたい盛りの14、5の子たちが朝から
ポーレチカ・ポーレとかロシアの歌を歌いたくはないんですよ、やっぱり。歌いたくないから合唱、座るわけじゃないけど立って歌うんですけど
皆やっぱりこう立ち方がですね、どうしてもこう・・(だらんとした感じで)こんな感じになってるんですよね。
だから俺と監督で一人一人、なんていうんだろうな、もう追い詰めて追い詰めていくと、ホントに一本のまっすぐな木のようにピンって
全員が立っていくのがこっちから見えるんですよ。
その様がホントに美しくてね、ああ、なんかその思い出がこの体育館でホントにありますね。
なんかカットが回っている時というより、回ってない時のこの伊参の子供たち・・。
 
緒方 そうだね。その校舎の1階の奥が食堂だったんですけれども、撮影終わって夕方くらいに体育館に練習見に行こうかなと思って、
今香川さんがものすごいことになってますから、なんて言ってね(笑)。香川さんがそこにいて、お前ら何やってんだ!ってもう軍隊のね
参謀のような総長のような形で・・。
 
香川 ・・やってましたよね。
 
緒方 だからホント、香川くんの悩みは自分の演技のことじゃなくて、教師の悩みでしたね。
 
じゃあ藤間さんも撮影中に相談したことなんかは・・。
 
藤間 やっぱり、学生運動を経験して帰ってくるシーンがあるじゃないですか、あそこで、まず最初に監督にめちゃくちゃ怒られて・・
強い表情になってなくちゃいけないってことで・・うわべだけの芝居をするな!って思い切し怒られて、それで香川さんに気をつけを伝授していただいて・・。
 
緒方 そうそう、わからない人いると思うけど、毎朝30分くらい夏の暑い中、ただ気をつけをするんです・・。
 
藤間 ・・外見てなんか、ムカツクことを全部考えろって言われて、で延々と外を見ながらにらみつけて。
 
緒方 それはもともと香川さんが中国で・・5時間位やらされたの?(笑)。
 
 
香川 はい、あの、先輩にいじめられたことを後輩に押し付けているようなもんですね、俺は(笑)・・
まあでも30分の使い方ってのは色々あって、人生で。漫画を読んで過ごす30分もあれば、テレビを観て過ごす30分もある中で、
人生の何十年の中の30分をただ気をつけをして、熱い中で表を見るっていうとですね、今まで使ったことのない血や使ったことのない筋肉や
使ったことのない心が芽生えてきて、非常に不思議なことになるってことを僕はその前の年の映画の撮影で知りまして、それを宇宙とやったり
したんですね。で、きっと彼もその気持ちになってくれたと思うけど、そうすると次の時に、じゃあカメラ回しますって時に、やっぱり使ってない
筋肉を使った直後ですから、普通じゃない顔になってるわけですよ・・。
 
緒方 そうですね。
 
香川 ・・それはなかなか、その前の30分を何をしているか、控え室で寝てるでもいいし、台本読んでるのでもいいんですけど、
それ以上の何かっていうのは、まあこういうこともあるんだよって意味で一緒にやったってのは・・ちょうど2回やりましたね。
校庭を見下ろして・・そういう思い出ですけどね。


Q & A 質問コーナー


 Q1.
監督よりちょうど10年位前の方たちが青春時代を過ごした時代を映画の題材に選ばれたのはどうしてですか?
 
緒方 え−とね、10年も前じゃないです、実は。清野の設定が昭和32年1月10日でしたっけ?で僕が34年ですから、
ちょっと上のお兄さんですよね。で、これを選んだ理由ってのは、私これをやる前にテレビディレクターで、「驚き桃の木20世紀」というのを
ずっとやってまして、そこが私のテレビディレクターとして一番思い入れの強い番組で、そこでまあ昭和に起こった事件、
例えばそのハイジャックですとか連合赤軍ですとか、あるいはマリリン・モンローだとか美空ひばりみたいなものをやったりして、
それで結局自分の中で昭和の歴史みいなのをなにか映画でやりたいなってのはずっとあったわけですよね。
で、戦前戦後色々なテーマはあったんですけれども、一つはそのテレビ番組ですと「プロジェクトX」もそうだと思いますけれども、
何かを成し遂げた人しか主役になり得ないじゃないですか、テレビだと。どうしてもそうなんです。
で、何かを成し遂げたんじゃなくて、時代の中で後ろ側にいて何かを見続けた子供たちの映画を作りたかったっていうのはあります。
それが一つと、あとやっぱり太平洋戦争が終わった後の戦後何十年を見てくるとやっぱ70年代ってのが自分のポイントだったんじゃないかなあ、
と思うことと、あともう一つは、自分が14、5才の頃、映画や音楽・・僕の場合はビートルズでしたけれども、あるいは僕は長崎だったんで
学生運動とかエンタープライズとか見てて、色々思うことがあったんで、そこをデビュー作に使おうと思ったのが契機ですね。
 

 Q2.香川さんにお聞きしたいんですけど、当時の人間を演じる上で役作りの為にしたことはありますか?

香川 実際に僕はあの時代のことというのは本とかそういうことでしか知りませんから、実体験としては残っていない、僕自身も60年代安保や
70年代安保っていうのは知らないことの一つでありましたから・・そこを勉強することというのは、演技にとって近いかなとは思ったんですけど、
それよりも何よりもですね、僕はあれを演じた時は34歳位ですかね。
まあ子供たち、15の頃、あるいは今ここにいる宇宙のように20歳の頃、皆やっぱり夢があるわけです。で、夢が実現するものと実現しないもの、
圧倒的に実現するものの方が多いはずだと思っているのが20歳だとすれば、僕がこの映画で演じた34歳というのは、夢というのは
実現しないものの方が多いいんだと。その中でどう生きていくか、それが自分の人生なんだと。
僕の中にある挫折感ってのは多くあったわけです、その当時に。で、僕自身の中の挫折感ってのを照らした時に、やっぱりこういう風に
なったらいいなってことがならなかったことっていうのは、清野の中で対社会に対して起こっていることと、似ているものがあったと思うんですよね。
清野は社会に対して革命は起きない、革命を起こそうとして革命が起きないというところに達しましたけど、僕自身の中でささやかな夢、
何でもいいです。ささやかなもの、それも実現しない。まあ実現したものもある。でも革命を起こそうとしたこともある、でも起きないこともあった。
そういうことを自分の心の中で見た時に、清野という人物を、ああ出来るなぁという感じはしたんです。だから直接的にそれを勉強したというよりも、
僕自身の中で挫折したことというのをすごい考えてやりました。あとはもう、緒方監督の言われた通りにですね、やると。それですね。
 
緒方 そうなんですよ、一応写真集見たりとかはそういうことですよね。僕はやってるんですよ。実際連合赤軍に入ってて、浅間山荘で
立てこもった当時高校生の少年に会いにいったりとか、あるいは当時の学生運動の闘士とかも、3、4年かけて会い尽くしましたから。
で、僕がそういう部分をわかっていて、香川さんは感情の部分、俳優さんってのは感情の部分を受け持ちますんで、逆に香川さんが時代の気分
みたいなのをひっぱられちゃうと映画ってまずいんですよ。香川さんは感情、気持ちの部分を持ってなきゃいけないしね。
それをだから2人で色々話し合ってやっていきましたから。でもそれが奇跡的にうまくいったような感じはしますけどね。
 

Q3.作った当時と今とで映画の持つ意味が変わった気はしますか?
 
緒方 僕はあったんです。さっき観て。僕はこれを観て当時は全然言ってませんし、考えもしなかったことを今日思いました。
これは恋の映画ですね。俺ホントわかった今日観て。あれだから宇宙とさ、伊藤淳と恋の話なんだね。
で、恋っていうのはたまたま異性にいくんだけれども、ものすごく純粋なものじゃないですか。で僕はベルリンでもいっぱい同性愛者なのか?とか
色々聞かれたんですけれども、そんなこと全然ないわけですから。そんなことないとずっと言ってたんですけど、
今観てみるとある種の恋愛の恋ですよね。
恋愛を描いたんだなという、ピュアに好きになる気持ちみたいなのを、それはそうと思いました。
というのは時代の問題とかなんかは色々ね、意味合いが変わってきたのかもしれないけど、それだけは変わらないんだなという・・
だからちょっとねぇ、最後のシーンなんか観て、ドキドキしたんですけどね、自分で。
・・っていうかね、大体4年経って、やっと冷静に観れるかなという感じです。
 
藤間 僕あの時映画初めてだったんで、ガムシャラにただ時代背景も何もわからず監督に言われるまま演じてただけなんで、
映画観ても実は全くわからなかったってのが正直なところで・・でも今日観て、やっぱ4年経つと高校とかでも勉強することとかありますし、
わかった気が・・わかってきた気がするなっていうのはありますね、はい。
 
観れば観るほど、時代ごとに変わってくるんですかね?
 
緒方 そう思います。
 
じゃあまた度々やりますかね。
 
緒方 (笑)。・・あ、お待たせしました。これ1本目で2本目やっと出ました私。
 
(会場拍手)
 
緒方 ありがとうございます。今年の3月、4月に長崎で今度は撮りました。『いつか読書する日』という映画で、今度は50歳の独身女性の
恋の話です。主演は田中裕子さん、岸辺一徳さん、で、渡辺美佐子さんとか仁科亜季子さんとか、今度少年からまるっきり逆で、
ものすごく大人の映画になりました。で、中にものすごく意地の悪いせこーい、もうどうしようもないスーパーの店長が出てくるんですけど、
それはこの人(香川さんを指し)がやってます(笑)。もう小さいですよー。もうこんな嫌な小さな人間いるだろうかってのを見事に長崎で演じて
帰ってくれましたので。来年公開になります。『いつか読書する日』という映画ですので、できたらここでもやってください。よろしくお願いします。

                                                          report by Kenichi Okayasu


  
 
主催:伊参スタジオ映画祭実行委員会/共催:群馬県中之条町、上毛新聞社  

Information伊参スタジオ映画祭とは第1回第2回第3回第4回 伊参スタジオ映画祭(2004)

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