1月「我々教員の社会的な役割」
今まで約20年間、学校の教員として仕事をしてきた。あっという間の20年間だった。ただ忙しいだけで過ぎ去ってしまい、自分を振り返ることがなかったような気がする。
教員という世界にどっぷりと入りこんでしまって、毎日毎日のほほんと暮らしていた私にとっては、全く違う世界での一年間は、少々精神的な負担もあったのかもしれない。しかし、この一年間の研修は、今までの20年間の教員生活を振り返る素晴らしいチャンスをいただいたと思っている。
会社の方々もとても親切に接してくださったり、わからない事も、忙しい時間をさいてていねいに教えてくださったりと、本当に働き易い環境を提供していただいた。そんな、精神的にも時間的にもゆとりのある環境の中で、自分を振りかえり、今までの仕事を見つめなおす時間をたっぷり持つことができた。このこともこの自分の今までを反省し、目標を修正していくための転機になったのではないかと感じている。この時間を有効に使わせていただき、改めて、学校というもの、教員というものの立場、社会的な役割を考えてきたことをここにまとめていこうと思う。(今までの感想とダブってしまう所もたくさんあると思いますが、お許し下さい。)
特殊な場所では決してない、また、特殊な場所であってはいけない
学校という所は、ちょっと入りにくい場所。そんなイメージがあったのかもしれない。ましてや、教員という人間は、ちょっと付き合いにくい所があるのかもしれない。そんな雰囲気を醸し出していたかもしれないと反省する(ごめんなさい。そんな教員は私だけですよね)。誰もが自分でも通っていたはずの学校なのに、誰もが自分の子どもを通わせるはずの学校なのに……。どうも学校の敷居って高いようだ。どうして学校ってそんな雰囲気を作ってしまったのだろう。
「開かれた学校を作っていこう」そんな目標を持って学校では取り組んでいたはずのここ数年。その大きな目標をぶち壊してしまったのは、まだ、記憶に新しい、痛ましいあの事件だろう(大阪教育大附属池田小の事件)。できるだけオープンに、誰でも自由に入れる環境を作りつつあった学校に、再び大きな壁を作らせてしまったあの事件は、本当に今までの方針を全てゼロに戻し、逆行させてしまった。(更に追い討ちをかけて、昨年末に同じような事件が起こってしまった)
では、そんな壁を取り払い、誰でも学校の敷居をまたいでくれるようにしていくためには、どのように働きかけていったらいいのだろうか。それには、自由に出入りできる扉を作っていっていけばいいのである。
新潟三島町立脇野町小学校で、保護者と学校との交流、地域と学校との交流を深めていくためにパネルディスカッションが企画された。その登壇者は地域の方、保護者、教員、そして、その学校の児童までも含まれていた。この話し合いの中で、お互いの主張を出し合い、お互いの素晴らしい所を認め、改善できる部分を改善していく。きっと素晴らしい話し合いになるのではないだろうか。いいえ、この話し合いは決して何か結論を求めているのではない。ただ、お互いの本音を見せ合い、心をつなげられることができれば、これが一番の成果になるのではないだろうか。「学校の先生も、考えていることは同じなんだ」「学校も特殊な場所じゃないんだ」と理解していただくことが、一番の出入りしやすい扉になるのではないだろうか。
(参考URL:http://www.town.mishima.niigata.jp/school/wakisyo/→校内研修→グレードアッププロジェクト委員会→第4回「パネルディスカッション」)
また、教員も、学校の壁の中に閉じこもっているだけでなく、自ら地域に出て、社会を見にいかなければいけないのだと思う。そう、学校は特殊な場所ではないのだ。教員は特殊な職業になっていてはいけないのだ。
……とは言っても、自分は『人間』を作っていく職業に就いている。自分自身の心の中には「お前は、特別な仕事に従事しているんだぞ」と言い聞かせていきたいと思う。
これからの社会を作っていく子どもを育てていく
授業をしていて、活動をしていて、遊んでいて、テストを受けさせてい……、ふと思うことがある。「このことって、いったい将来何の役に立つの?」ということだ。子ども達が将来使うであろう計算の力をつけてあげることだよ。子ども達に基礎的な力をつけてあげることだよ。子ども達が将来必要になってくる力というのは、そんな計算の力はもちろんである。漢字の知識はもちろんである。歴史の年号や人物についての知識ももちろんではある。が、それ以上に必要な力があると思う。まだ教わっていない内容の計算を、今までの知識をもとにして自分の力で解いてみようじゃないかという意欲である。どのようにして、その計算を導いて来たのか解き明かして行こうという興味である。難しい漢字を分析し、意味付けして理解していこうとする工夫である。歴史上の人物がその時々にどんな気持ちで生きていたのかを考え、「自分と同じじゃないか」「僕ならこうするけど」と思う気持ちである。理科の実験は面白いなあ、歌を歌うのって楽しいなあ、家庭科で作ったもの、家でも作ってみよう……と思う気持ちなのである。
前回の指導要領の改訂で大きく取り上げられてきたのが、「知識よりも、興味関心を重視していこう」ということだった。今回の指導要領の中にもその色は濃く残っているはずではあるが、興味関心をどう導き出していったらよいのか、その興味関心をどのように評価していったら良いのか、また、興味関心と学力が一体になってついていかないという弊害もあって、また、もとの知識中心の学力へと後退しているような気がする。
一年間企業での仕事の様子を見せていただき、やはり、この社会で生きていくためには、知識の量云々ではないということが理解できた。もっともっと、日常社会の中で生きていくための力をつけていかなければならないと思う。また、この企業で必要としている人間とは、知識の量ではなく、その知識をうまく使っていける能力を兼ね備えているかという事なのである。それぞれの興味関心と新しい何かを考え出していく力こそ、企業にとって必要となるものなのだと思う。
SONYが作ったAIBO、HONDAが開発したASIMOは、決められた範囲の知識にとらわれることなく、そこを抜け出そうという意識と共に、新しい何かを作り出したいという興味、こんなもの作ったら面白いだろうという関心、そして、何としても作ってやるぞという意欲から生まれてきたものではないだろうか。
この頃、小学生の頃から塾に通い、遊ぶ時間もないほどという子ども達のなんと多いことか。テスト対策のためだけの塾。(塾によっては、子どもさんの通っている中学校の○○先生の問題を分析し、その対策を考え、特訓させるようなところもあるとか。)受験対策だけの塾。もっともっと遊びを通して学ぶべきことがあるのではないだろうか。友達と仲良くする中で、ケンカをしていく中で覚えていくことがたくさんあるはずなのに……。
「学校では何も教えてくれない。塾の方が効率的に教えてくれるし、子どもも理解できる。」そんな批判の声も聞こえてくる。しかし、「学校では、そのための素地を作っているのです。」「学校では人格を作っているのです。」「学校は人間を作ろうとしているのです。」そんなことを自信を持って言えるように、流行だけを追い求めるのではなく、学校の不易の部分"本質"を追求し続けたい。本当に我々教師に課せられている課題とはなんなのか、我々が育てていかなくてはならない人間とはどんな人間なのか。常に考えながらこの仕事をしていかなければ……。
追記:1月30日付けの新聞記事から―――――厚生労働省が企業に対して行った調査によると、採用時に比重を置く能力の第一位は「コミュニケーション能力」という答えが多かったという新聞記事があった。しかし、今の若者にはこの能力が不足しているという回答も寄せられたという。今の子ども達は友達と遊ぶといっても、テレビゲームやマンガ本など、各自自分勝手に遊んでいて、「一緒に」とはいっても、同じ部屋の中でというだけで、何も交流していないという場面が多いようだ。授業においても各自がそれぞれに課題に取り組むという時間が多いのではないかと感じる。もっと授業の中で子どもたちの意見をぶつけ合い、討論していく場面を作っていってあげることが必要なのではないだろうか。この記事を読み、授業を変えていかなければならないという気持ちがより大きく、強くなってきた。
授業だけではない、もっと様々な場面で「コミュニケーション能力」を付けていってあげることを考えていかなければ……。小学校だからこそ、「性格」的な能力をつけていかなければ手遅れになってしまうのではないだろうか。