今回は御巣鷹山慰霊登山について、ご報告いたします。
登山日:2005年8月8日
場所:群馬県多野郡上野村
あの日から20年の歳月が流れようとしている。未だ、鮮明に記憶している、あの日航機墜落事故である。思い起こせば1985年(昭和60年)8月12日、夕刻当時流行っていた「夕やけニャンニャン」を見終わり、チャンネルがそのままになっていた夕方のニュースで第一報が伝えられた。
「羽田を離陸した大阪行き日本航空機123便がレーダーから消えました。」
最初この意味が理解できないでいた。レーダーから消えた。。。レーダーの届く範囲内から外に出てしまったのか?レーダーが壊れたのか?墜落という言葉は頭の中になかった。
その後も続々情報が入ってくる
「日航機123便は操縦不能と連絡を最後に消息を絶つ。」
「消息を絶ったところは長野県と群馬県の県境付近。」
この時点で墜落したと推測することができた。しかも群馬県かもしれない。その後テレビは7時台のゴールデンタイムの放送を打ち切り、このニュースを報道することとなる。しかし、時間はこれから夜を迎える。墜落した場所の位置すらはっきりしない。自衛隊のヘリコプターが捉えた映像は山が燃えている衝撃的なものであった。 群馬県かもしれない。。。。。これは少年時代の私からすると異常な恐怖を覚えた。この日の夜一人では眠ることができず、両親の寝室に床を移した。また、帰郷していた姉も同じく床を移した。
翌朝、事故現場の映像が流れ始め、救助活動が開始される。その後の出版物などを読むと、この現場・遺体安置所どこも想像を絶する修羅場であったと言われる。後に4人の生存者がおり、520人の方が亡くなったということがわかった。この520人の中にはタレントの坂本九さん、甲子園での野球を見ようと一人で飛行機に乗った9歳の少年、家族で乗り合わせた方々、一家の大黒柱、この飛行機の中で遺言を書いていた方もいた。
あの日から20年、ここ最近あの事故を起こした航空会社の安全性が再度問われている今、原点に帰り520の御霊に祈りをささげ、空の安全をお願いするため今回、慰霊登山に行こうと決心した。10年前にも一度登っているが、飛行機を常用する今、安全を祈願する気持ちにはよりいっそう強くなっている。