昇魂之碑
安全祈願の鐘
茜観音
炭化した樹木
 中継小屋を跡にし、事故現場へと入る。登りもきついが、目に入る墓碑が心を苦しめる。くの字型の坂を登りきったところが、昇魂の碑である。
登山を開始して約1時間であった。ここはベンチが数個あり休憩ができるようになっている。私も流れる汗を拭き、筋肉収縮で震える足が落ち着いてきたのでお祈りを捧げ、持参したジュースをお供えする。この飛行機では50数名の子供が犠牲になっている。ジュースはその子供たちのために持ってきた。安全祈願の鐘を鳴らしたところで数名の登山者が登って来た。
私はさらに奥にある遺品埋没地、茜観音にお参りした。茜観音の右横に520名の名前が記した石碑があり、一人一人目を通す。また茜観音の左横に小さな小屋があり、遺族が犠牲者の思い出の品や写真などを持ち寄った場所となっている。私も持参した麦茶を供え、線香を立てる。飾られた写真やメッセージを見ていて、1滴の雫が頬を伝う。汗をぬぐうがその雫はとまらない。視線がぼやけてきたときそれが涙であったことがわかった。子供のころから涙もろかったが、年をとってその涙もろさに拍車がかかってきた。山崎豊子著「沈まぬ太陽」を読んでも涙が止まらなかった。
 下山は登って来た山の反対側(すげの沢)に下り、中継小屋で合流するルートをとる。下り始めてすぐ20年前の姿をそのまま残した炭化した樹木があり、事故当時のすさまじさがわかる。この現場は犠牲者がどこで亡くなったか番号で地図化してある。遺族や関係者はその番号を頼りに墓碑まで行くことができる。下り始めると登り道より多数の墓碑を目にする。9歳で亡くなった少年の墓碑にはたくさんのおもちゃが供えてあった。この事故にあわなければ29歳になっている。しかしこの少年は9歳のままである。ご両親からすると9年間の子供の記憶しかがない。こんな不条理なことが実際ここで起こってしまった。