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以文会記

 昭和25年卒業生が、2001年10月に前高卒業50周年を記念して作った文集。
 「以文会」は『論語』顔淵篇からの故飯沼喜八郎による命名。
A5版200頁:グラビア16頁(含アダナ付恩師の顔写真)・発刊にあたって・103名の作品(夫々の顔写真と随想・詩・和歌・想い出・論文等)・座談会(五十年の回顧と展望)・恩師学友へのレクイエム・以文会のあゆみ・会員名簿・編集後記を載せる。挿絵・装丁・編集ともに全て会員の手作り。
 当時の朝日印刷社長石川羚二氏の『兎に角、良い本を作りましょう』というお奨めとご援助によって、何処に出しても恥ずかしくない永久保存版に耐える立派なものが出来た。この文集の出版によって、同期「以文会」会員の結束はますます強まった。
(昭和25年卒 白石昭夫)


『今を生きる』

 われわれ二七会員は、終戦翌年の昭和21年4月、旧制最後の入学、そして中学・高校あわせて6年在学した特異な学年である。紅顔の○少年も、平成14年をもって68歳から69歳。
 そこで卒業50周年の記念式典と祝賀会を、同年10月19日、前橋は東急インにおいて開催した。恩師5先生をお迎えして集うもの76名。
 先の卒業30周年時には、蛟龍館の南庭に、在校生の寛ぎの場として藤棚と御影石製の将棋盤ならびに碁盤を寄贈したが、今回は自分たちの手元に残るものをということで、小冊子『今を生きる』を出版した。
 内容は、表紙を操ると「卒業時の集合写真」8葉、そのあと「修学旅行や部活動のスナップ」毎年開催してきた「同窓会の集合写真」「役員・幹事一覧」「世界や日本の出来事」そして今回のメーンである「今を生きる」でしめくくっている。
 原稿を寄せられた者41名それに3先生、そのタイトルもさまざまで、「皆様から学ぶこと」「渓流釣りを楽しむ」「私の夢」「日本丸はいづこへ」といった調子である。
 本誌ご希望の方、あるいは自分たちの学年の参考にしたいという方々には、実費2,000円でお分け致しますのでどうぞご一報下さい。

(代表幹事・西林乗宣 tel 027(221)6410)


「繼|記」

昭和22年卒「繼|会」は、平成9年秋卒業50年記念事業の一環として、記念誌「繼|記」を上梓した。
  繼|会長、斉藤賢一は巻頭の詞として、卒業50年を省みて「波瀾万丈・苦節の50年」とし、各人が何等かのかたちで再生日本に貢献できたのは、共有した多威な青春の5年こそ、その原点であると結び、愛唱のサムエル・ウルマンの詩「青春」を掲げている。
 次いで編纂委員・鈴木岳郎は「繼|会縁起」と題し、クラス会名「繼|会」命名の経緯を記している。これに依れば出典は「繻ハ蓬矢」から転じた「纐Hの志」であり、之を用いた校歌・平井晩村作詞にある。この誇り高き由来をもつ「繧フ弓」を採り記念誌名をも「繼|の記」となしたと。
 恩師・学友の寄稿は170余篇に及びジャンルも広かったが、編纂の妙を得て座右に置くに値する「仍青春」の記録集となった。

繼|会幹事 高松知三 tel 027(231)7795


「不断の春」

前橋中学校(旧制)を昭和23年に5年生で卒業し、その大半が翌年新制高校第1回の卒業となった私達は、卒業50周年を記念して平成11年「不断の春」を刊行しました。
 本書は竹園、藤生、猪熊各先生のご寄稿をはじめ同期生の投稿延べ109編を掲載し、当時の写真も数多く載せておりますので、総頁数は620頁となりました。それぞれの記述の中には多感な中学生時代を戦中・戦後という特異な環境の中で過ごした若者の得難い体験が多く語られています。ご一読をおすすめします。

連絡先(事務局)〒371-0035
前橋市岩神町4-21-7 S23年卒 野々村 達
tel 027(231)6191

「前高二六会記念誌」

前中・前高と6年間伝統ある学舎を卒業50年の節目に「前高二六会記念誌」が編集委員を中心に会員各位の協力を得て誕生しました。
立案・企画は懐かしさと楽しさを盛り込んだので、わが来し方、恩師訪問、随想、放談会と豊富で、今後記念誌作りに参考になると自負いたします。
アンケート、想い出の品々、原稿等は予想以上に難航したようであり、編集委員のご苦労は察するに余りあるものと思います。
第二の卒業アルバムとしての「赤城颪に送られて」は、我々の心の故郷であり、青春を享有した者の金字塔であると思います。

前高二六会代表幹事 生井 駒雄
前高二六会記念誌は図書館にあります。


同期会誌「斜道路」(NANAME DORO)

「斜道路」が刊行されたのは、6年前の平成9年である。私たち昭和29年卒の同期生が卒業40周年の総会で、記念に本を作ろうと決めてから3年を経て144頁の立派な(と自画自賛する)記念誌「斜道路」が完成した。その内容や作成の経緯は、本会誌第37号に詳記したが、改めて頁をめくると、玉稿をお寄せ下さった竹園一先生や4人の恩師、表紙担当の中村光夫君、約50人の原稿執筆者、写真などの資料提供者など多くの仲間の顔が浮かぶ。しかし、この冊子完成の原動力となったのは、石川羚二君と柳葉健君の二人である。石川君は数十回に及ぶ編集会議や諸作業に自社を提供し、編集、校正から印刷まで、全ての面倒をみてくれた。彼の尽力なしにこの本は生まれなかった。秋葉君は巻頭の24頁に亘る思い出グラフィティに秘蔵の記念写真を提供するなど写真頁の編集を一手に引き受けてくれた。皆で一つのものを生み出す難しさと、完成時の喜びを知った冊子づくりであった。

(今泉 義男)